家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

【学会メモ】患者中心性を掘り下げるー家庭医療学の柱に立ち返る実践と教育ー



第13回日本プライマリケア連合学会の下記セッションを、オンデマンドで視聴した。
【患者中心性を掘り下げるー家庭医療学の柱に立ち返る実践と教育ー】
https://jpca2022.org/
 
JPCA 2022 | Japan Primary Care Association | June 10 - 12, 2022 | Join us in Yokohama
The 13 th Annual Conference of Japan Primary Care Association is commencing on June 10 2022. Join us in-person or online!
jpca2022.org




私的まとめ

1.患者が相手によって言うことが変わるのは、「分人」的発想からすれば当然である。
2,患者を言葉通り全人的に診ることは不可能だが、全人的に診る努力はすべき。
3.患者を診るとき、医療者もすでにシステムに組み込まれている(network dive)ことを忘れてはならない。




①立場性について

患者(やその家族)が、医師を相手にするときと、他職種を相手にするときで、会話の内容が異なるという話題があった。
*救急搬送の有無、侵襲的な治療の有無など、時に重大な決定が必要となる医療現場において、方針ははっきり決まってた方が悩まないで済むので楽であり、方針が定まらないことは敬遠されがち
それは患者が方針に悩んでいる、という要素もあるかもしれないが、それ以外に医療職の「立場性」というものが関与しているかもしれない。
患者にとって医師が「方針を決定する」人であれば、その決定に従う(又は反対する)発言をし、他職種が「ともに悩む」人であれば、悩みを吐露して答えの出ない問いを共有しようとするかもしれない。


これは、平野啓一郎さんの提唱する「分人」という考え方でも説明可能なように思った。
患者の中の「医師に対する分人」と、「他職種に対する分人」は異なる。そしてそれは今までの医療職との関わりに影響を受ける。
私とは何か    「個人」から「分人」へ 
https://booklog.jp/users/1d2b5cb30c77399e/archives/1/B00APR9D7Y
 
こばさんの感想・レビュー
こばさんの平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) [電子書籍]』についてのレビュー:...
booklog.jp




②患者を全人的に診ること

家庭医療学は、従来の医学が疾病ばかりに着目し、患者の個人的側面を疎かにしてきたことへのカウンターとして生まれた。
そのため、患者中心の医療の方法(Patient Centered Clinical Method)など患者を全人的に診るための手法が開発されてきた。

しかし、そもそも患者の全体像を完全に捉えることは可能なのだろうか。
「全体」というのをどの範囲で考えるかにもよるが、言葉通り「患者のすべて」と考えるなら、不可能であるのは自明であるし、傲慢ですらある。

千葉雅也さんは「勉強の哲学」において、人間には真理を知りたいという欲望があり、アイロニー=ツッコミをしていくが、それが過剰になるとナンセンス(無意味)になってしまう、というようなことを語っている。
勉強の哲学    来たるべきバカのために    増補版 
https://bc-liber.com/blogs/9912460001e6
 
 

読書ログ「勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春...

こば
09/03 21:08
 

要は、人間は「全体像」を求めて真実に近づきたいという欲望を持っているが、それは到達不可能だということである。
だからと言って、全人的に診ようという方向性が間違っていると言いたいわけではなく、全体像を掴もうとしつつも、謙虚さを忘れないようにするべきだと思う。




③客観的・科学者的視点と、network diverについて

患者の全体像を捉えようとするとき、医療者は外側から観察するような視点になりがちであるが、医療者自身も患者の全体像の中に組み込まれていることを忘れてはならない。

このことについて、思い出すのが「聖なるズー」という書籍のことだ。
聖なるズー 
https://booklog.jp/users/1d2b5cb30c77399e/archives/1/4087816834
 
こばさんの感想・レビュー
こばさんの濱野ちひろ『聖なるズー』についてのレビュー:【要約】性暴力被害の経験のある著者が、自らの経験を乗...
booklog.jp

本書は、「性暴力被害の経験のある著者が、自らの経験を乗り越えるために、性や愛に関して学術的に研究しようとする中で、「動物性愛」というテーマに出会い、その当事者(ズーという団体)のインタビューのためにドイツに滞在した」という本である。

主題とは直接的には関係ないが、エピローグで、著者が当事者と別れる際にプレゼントをもらい、号泣してしまうというシーンがある。
私にはズーを通してセックスや愛を考えたいという個人的な目的があって、そのためにはいつも客観的であることを心がけねばならなかった。だが、人間同士が出会い、かかわるとき、常に客観的立場を押し通せるものではなかった。    kindle位置No.3056

客観的であろうとすることの難しさは、日々の臨床でもよく感じる。

僕らは患者を全人的に診ようと思い、できるだけ客観的に診ようと心がけるが、でも実はすでに僕らも全人的なシステムの中に組み込まれている。
このことを、僕の尊敬する松岡史彦先生は、著書の中で、「network diver」という言葉で表現されている。
プライマリ・ケア‐地域医療の方法‐ 
どちらかというと僕の中では飛び込む(dive)というよりは巻き込まれる(involved)という感じだが、どうせ巻き込まれるなら自ら飛び込もう!というメッセージなのかも。


実り多い講演でした。ありがとうございました。