家庭医療専門医の勉強記録

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【マイクロアグレッション】口承伝統差別/私は誰に対する加害者か/進撃の巨人その後

 
 マイクロアグレッションについて解説された本。
家庭医療業界でも今後注目されそうな気がする。

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要約

本書はアメリカにおける人種・ジェンダー性的志向に対するマイクロアグレッションを解説した本である。

マイクロアグレッションはあからさまな差別とは異なり、目に見えづらい。
マイクロアグレッションというのは、ありふれた日常の中にある、ちょっとした言葉や行動や状況であり、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的とし、人種、ジェンダー性的指向、宗教を軽視したり侮辱したりするような、敵意ある否定的な表現のことである    kindle位置No.480

簡潔に言うと、マイクロアグレッションとは特定の個人に対して属する集団を理由に貶めるメッセージを発するちょっとした、日々のやり取りである。 kindle位置No.305

それが持続・蓄積することで、被害者に対して身体的・心理的に大きな悪影響を及ぼす。
それに対して、加害者はその蓄積がわからないがために影響を過小評価することが多く、そもそも気付かないことも多い。また加害者であることを認めることは大きな痛みを伴うことから、無意識的・意識的にそのことを隠そうとする。

ただし、加害者と被害者は明確に分かれるわけではない。
我々は皆、人種、ジェンダー性的指向に関するマイクロアグレッションの加害者でもあり、被害者でもある。我々は両方の役割を果たしてきたのだ。    kindle位置No.1752


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感想①:口承伝統差別

本書で、文化的レイシズムとして、西洋文化が優れているという世界観がある、という指摘があった。その一つとして、書物による情報伝達の伝統があり、逆に口承伝統は望ましくないとされる。

例えば哲学など、人文学的な領域は殆ど西洋の書物が主である。
また歴史学も、西洋を中心とした歴史が語られ、アフリカや(入植前の)アメリカ大陸の歴史は語られることが少ない(データが少ないというのもあるのかもしれないが)。

京都大学の「アフリカから学ぶ人文学」というオンライン講座が以前あった。

アフリカには西洋社会(やそれに西洋化した日本社会)にはない人文学的な問題解決手法があり、その可能性を伝えるというのがこの講座の内容だったのだが、一方でやはり長年のマイクロアグレッションから過小評価されているという現状も伝えられていた。


感想②:私は誰に対する加害者か

本書では誰しもが被害者であり加害者でもあると記されていた。

では、私は誰に対する加害者なのだろうか。
一つ浮かぶのは、能力主義的なものである。マイケルサンデルの「実力も運のうち    能力主義は正義か?」という本があるが、(私は未読だが)要は能力も環境要因に多くを支配されるので、能力で人を測るのは適切ではない、ということなのだろう。
その主張は理屈的には納得できる。私自身も裕福な家庭で生まれてなければ高給取りである医師になれた可能性は低いと思うし、周りの医師も比較的裕福な家庭の出身であることが殆どだと思う。

なので意識的に能力主義的な考え方は避けるように心がけているが、それでも完全に避けることは難しい。
糖尿病や肥満などの方で生活習慣を改善できない方を診たとき、子どもが運動会で好成績を残したとき、思慮の浅い(ように見える)医師を見たとき、能力主義が顔を出す。


感想③:進撃の巨人のその後を妄想する

進撃の巨人では、エルディア人はかつて世界中で大量殺戮を行ったとして世界(連合国)の憎悪・差別の対象となっていた。そしてエレンが人類の8割を殺し、その後アルミンたちに殺されることで、エルディア人の一部は連合国にとっての英雄となった。

アルミンたち亡き後、再び戦争が起きたような描写がある。エルディアが連合国に負けたのだろうか。
最後のおまけ漫画で平和になったと思しき100年後の世界が描かれて、話は終わる。

進撃の巨人    34巻)

さて、100年後の世界ではエレンやアルミンたちの子孫っぽい人物が多数登場していることから、勝者である連合国側の人類だけでなく、エルディア人も生き残ったのだろうと想像する。

平和な世界で、目に見えるようなマクロな差別はなくなったかもしれない。でも、エルディア人というだけでマイクロアグレッションを受ける機会は多いかもしれない。そんな風に想像すると、おまけ漫画のキャラたちもエレンたちのように戦っているのかもしれない。