家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

目の見えない人は世界をどう見ているのか【ブログを振り返るブログ】


 
 

【ブログ内容まとめ】

・以前のブログを振り返ってみたらいろいろ発見があった。

・ブログ作成時にはショートサマリーを作る方が、後で見返したときに内容がわかりやすい。引用はあった方がよい。

・Deaf gainのように「障害」も「病気」も見方によってはプラスに捉えることができる。
BUMP OF CHICKENのSupernovaがわかりやすい。とはいえ、実際に「障害」を感じることが減るように社会を設計しなおしていくことも大事。

・目が見えない状態でコミュニケーションをすることで、お互いの「属性」がわからない状態で、率直なコミュニケーションを体験できる施設があるらしい。試み自体はすごく興味深いが、一方で距離が近づきすぎて「結合」することは決定的な「分離」を生むこともある。


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Facebookには同じ日の投稿が思い出としてリマインドされる機能があって、
「去年はこういう投稿をしてたのか」
など振り返ることができる。

LIBERのブログにはそうした機能はないので、手動で振り返ってみることにした。


ちょうどLIBERが始まった初日に投稿したブログ。
もう1年半経つんですねぇ。


【ブログそのものについて】

このブログに限らず、以前のブログでは「引用」をあまりしてなかったことに気づく。
実際には引用はしてたかもしれないが、ここが引用だという印がない。

本を元に自分で考えたことばかり書いているので、自分がどう要約したかはわかるが、実際に本の中にどのように書かれてたのかがわからない。

引用は正直若干面倒な作業ではあるが、大事だとは思うので続けていこう。

一方で、最近のブログは長くなりがちで、見返しても要は何が言いたいのかがわかりづらい。ショートサマリーは意識的に作ることにしたい。(早速やってみた)


【Deaf gain:内容に関連して①】

本書はタイトル通り視覚障害者に関する本だが、関連して思い浮かんだことを書いてみる。

deaf gainという言葉がある。これは視覚障害ではなく聴覚障害の話だが、聴覚障害があることをプラスに捉えるという発想のこと。
例えば、ろう者は可哀想であるとか、助けてあげるべき存在だというふうに見て作られているというところも問題だと思います。私たちろう者というのは、ろう者であることを何か問題に感じているわけではないんです。実は「デフゲイン(deaf gain)」という言葉、ろう者であるということをプラスに捉えて、ろう者であることを得た、獲得したという考え方があるんですね。ろうという状態を得る、いいものとして獲得することですね。例えば私、あるところで宗教の勧誘を受けたんですね。「この宗教を信じると聴者になれますよ」というような言い方が出てくるわけです。つまり聞こえないということは「かわいそうですね」「この宗教に入れば聞こえるようになりますよ」と勧誘で言われるわけですけれども、私は聴者になるのは怖いです。「ろう者という状態がとても良いんです」というふうに答えると、相手は戸惑います。おそらくそんな答えが返ってくると思っていないからです。まさか聞こえるようになりたくないとは、思ってないと思うわけですよね。そういう(私のように)ろうの状態を良いものとして捉えるというのがデフゲイン(の考え方)ですね。
https://www.tbsradio.jp/articles/66479/ 

余談だが、手話は非常に視覚的な言語で、全身を使って非常に多くの情報を届けることができるらしい。下記の動画を見ると、僕には情報が多すぎてとても処理できないが、ろう者はこのようなやり取りをしているとのこと。

社会の中で少数派だから、社会が少数派向けに設計されてないから、「障害」とされてしまうだけ。実は多数派とは違う世界を持っていて、多数派にはない強みも持っている。要は多様性の一つなんだと。
(多様性だからそのままでいいというわけではなく、少数派が実際に「障害」を感じることも多いのは事実であり、その「障害」の解消は重要である。≒ノーマライゼーション

これは医師としていろんな「障害者」と出会う中で、感じたことの一つでもある。
病気だって、見方を変えればプラスに捉えることができる。

具合が悪くなると、自分が今まで健康だったことに気づく。
具合が悪いときほど、人のやさしさが胸にしみる。


【コミュニケーションにおける属性の功罪:内容に関連して②】


・あえて目が見えない状態を体験することができる施設があるらしい。
https://voicy.jp/channel/794/473895 
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、視覚障害者の案内により、完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテイメントです。
https://did.dialogue.or.jp/ 

上記voicyでは、目が見えない状態でお互いの「属性」がわからない状態だと、普段と違うコミュニケーションができて、興味深かったということが語られていた。

最近読んだ「反コミュニケーション」という本によると、ルソーはそのような「属性」を剝ぎ取ったコミュニケーションを理想形と考えていた。
職業・地位・肩書きなどなどが私たちのあいだに距離を生み、深く率直なコミュニケーションを難しくしている。 24p

LIBERのようなコミュニケーションでのコミュニケーションも、普段のコミュニティにおける「属性」がかなり薄まっているので、率直なコミュニケーションがしやすくなる側面があると思う。

一方で「属性」などの障害がなくなって、お互いの距離が近くなる(=「結合」)と、それまでは気にならなかった違いが気になり、決定的な「分離」に繋がりうると、ゲオルク・ジンメルは考えた。
秘密、つまり消極的あるいは積極的な手段によって支えられた現実の隠蔽は、人類の偉大な達成の一つである。 47p

健常者にとって視覚が率直なコミュニケーションの邪魔になることもあるため、この施設の試みは確かに面白いが、秘密は剥ぎ取らない方がいいこともある。という感じだろうか。