家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

【ひとり空間の都市論】から考えるLIBER論


LIBERというオンラインサロンのブログに投稿したものの、転載になります。

bc-liber.com

 

ひとりとは?
・「単位としての一人」:空間時間の課金対象
・「孤独・独身の独り」:孤独・自由・独身
・「状態としてのひとり」:一定の時間、帰属先の集団から離れてひとりになる状態

空間とは?
・物理的な空間
・情報空間:電子メディアやネットワーク

「ひとり空間」とは、一定の時間、ひとりの状態が確保された空間を指す。    39p

*なぜ都市論か?
都市において、「ひとり」であることは正常だから。
長期的ひとり:進学や就学で上京する単身者
短期的ひとり:移動中に、帰属先から離れて一時的にひとりになる者



ひとり空間の歴史

源流をさかのぼると、鴨長明の方丈庵にたどり着く。

戦後の「ひとり空間」の変遷
住み込み間借り
→寮や木造賃貸
ワンルームマンション:匿名性の確保
→デザイナーズマンション・分譲マンション:匿名性を確保しつつ、見せる・魅せる空間演出
→シェアハウス:所有より共有、「ひとりでいる状態」と「他者といる状態」のスイッチング


モバイルメディアによるひとり空間への影響

    ①本

スマホや携帯電話に限らず、本もモバイルメディアである。
(最古のモバイルメディアは、恐らく石板やパピルスである。)

我々は、たとえ満員電車でも、読書により自分の世界に浸ることができる。
周囲との間に「見えない仕切り」を生じさせるような行為を「離脱」という。
ゴッフマンは、このような満員電車への乗車の例のように、集団を取りまく状況に外見上は参加しているように見えながら、自分だけの世界に遊離する行為を「離脱」と呼んだ    154p

    ②ウォークマン

本と違い、移動中でも「離脱」を可能にしたのがウォークマン
ウォークマンを装着して歩くと、「見えない仕切り」によって立ち上げられた「ひとり空間」が、都市空間のなかを連続したチューブのように貫通していく感覚を味わうことができる。    156p

    ③ケータイ

ウォークマンと違い、ケータイは「離脱」しつつも他者とコミュニケーションがとれる。
ウォークマンでは、「ひとり空間」がバラバラに存在していたのに対し、携帯電話では、物理的に離れた「ひとり空間」と「ひとり空間」がオンライン上で接続するようになったのである。    156p

    ④スマートフォンSNS

スマートフォンによる変化は、以下のようにまとめられている。(詳細は割愛)
①常時接続社会の接続指向と切断指向 
②パーソナライズする世界とパーソナライズされる世界 
③仕切る空間から仕切られる空間へ 
④匿名性・異質性の減退 
⑤マッチング精度の向上 
⑥検索不可能性の希求 
⑦個人の複数性とスイッチング 
⑧細かい時間単位の同時並行的なミクロ・コーディネーション    158p
 

コミュニティからアソシエーションへ

これまで家族や近隣住民、村落など「緊密なコミュニティ」に特有のものだった交換行為と交換形態が、P 2 Pプラットフォームに媒介された「半匿名の個人」が集まる「アソシエーション」において広がりを見せるようになった    213p
*P 2 P:「対等な者同士」を意味する"Peer to Peer"の略語であり、端末を介した一対一の対等な通信方式のこと
*コミュニティ:地縁血縁による連帯    統合的拘束的
*アソシエーション:共通の関心や目的による連帯    部分的複数的

このアソシエーションにより生まれる人間関係は、以下のように説明される。
都市空間へのP 2 Pプラットフォームの重層化によって、匿名性が低くて拘束性と同質性の高い「農村・地方型」の人間関係と、匿名性と異質性が高くて拘束性の低い「都市型」の人間関係の中間状態が生まれることになる。    214p

さて、このような人間関係は、社会問題化している「社会的孤立」を解消しうるか。
本書では、YESでもありNOでもあると答える。
YESの点としては、匿名性が減り、持続的な関係になりうることがある。
NOの点としては、スキルを持つ者と持たない者の新たな格差が生まれることや、いつでも解消可能な関係であることが挙げられる。

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LIBERはP2Pプラットフォームではない(と思う)ですが、この「アソシエーション」という概念に合致する点がいくつもあるように思いました。

・匿名性
僕も含めて多くの方は本名をフルネームで公開はしていないし、住所なども公開しておらず、一定の匿名性は保たれている。
でも完全な匿名ではなく、僕はこのアソシエーション内では「こば」としてラベリングされ、ブログやストーリー、他者のリアクションなどを通じて、その人となりが可視化される。
(オフラインで会ったりすると、さらに匿名性は減る)

・同質性/異質性
恐らく、LIBERメンバーは「何らかの形で”本”に興味を持っている」という意味では共通していて、その点では同質的。
一方、住む場所は日本全国・海外含めバラバラだし、職業も様々であり、異質的。

・格差
LIBERにおける”スキル”は、いわゆるコミュ力、ブログを書く際の文章力、知識や読書量などだろうか。
そのスキルの差は、自身のアウトプットに対するリアクションの差として反映される。
気にしないようにと思っても、つい数字に引っ張られて他者評価を気にしてしまう承認欲求煩悩の私・・・

・拘束性(解消可能性)
人間関係が深まれば拘束性が生まれるが、退会してしまえば解消可能でもある。

・複数性
僕自身は他のアソシエーションには属していないが、人によっては複数のオンラインサロンに入会していたりもあるかもしれない。


僕は、普段は田舎で「農村・地方型」の人間関係を垣間見ながら仕事をしつつ、仕事が終われば地方都市に戻って「都市型」の人間関係で、隣室の人とも殆ど顔を合わさない日々を過ごしてます。

LIBERというアソシエーションも、世界観を広げるうえですごく興味深いと思いつつ、もう少しかかわりを増やしたいとも思っています。
やっぱそのためには転職かなぁ・・・時間がない。

@アバタロー
 さんが構想されたLIBERという空間の特殊性について思いをはせつつ、本の紹介を終えます。

新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のように【8月に買った漫画】


そのくらい、爽やかな気分になりたいものです。

ジョジョの奇妙な冒険 42巻)



8月に買った漫画は10シリーズでした。



というわけで、今回紹介する漫画はこちら。


ジョジョと言えば、言わずと知れたご長寿漫画。
読んだことはなくても、名前だけなら知っている人が多いのでは。

1987年に連載開始して、現在第8シリーズが完結しています。



僕は熱心なジョジョラーというわけではありませんが、第4部と第5部が好きです。

推しキャラ↓
 岸部露伴:あのセリフで、とにかく断りたい。
 広瀬康一:シアーハートアタック戦が、かっこよすぎる。
 アバッキオ:死のシーンが一番心に残ってるキャラ。
 ブチャラティ:頬なめ事件の黒歴史を除けば、イケメンすぎる。
 プロシュート兄貴:ぶっ殺す、なんて言葉は言いません。


今回の漫画は第4部が始まる少し前の舞台を描いたスピンオフ作品です。
ペットショップと同じ調教を受けたオウムが何者かに連れ去られた。
飼い主からの依頼を受け、ホルホースはボインゴの予言を元に、杜王町へ旅立つ。
そこで、東方仗助と出会い行動をすることになる。
さらに、花京院典明の従妹である涼子が典明の死の真相を探るべく、彼らに近づく。



まだ一巻しか出てませんが、続きが楽しみすぎる。

ジョジョ好きなら、間違いなく「買い」の一冊です。


ジョジョ未読勢の皆様は、よろしければこちらの動画をどうぞ。

これでジョジョを見る気にならないことがあるだろうか。
いや、ない。
(反語)

ただ、全部で132巻あるので、揃えようと思うと60000円くらいかかる。
なので、まずはアニメから入るのが良いのではと思います。

認知症を精神病理学的に理解するには?

[松本卓也]の症例でわかる精神病理学

 

 

認知症の項目で記憶に残った部分を要約。

 

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認知症の症状は「記銘力障害」(覚えられない)と「見当識障害」(自分がどういう状況にあるかがわからない)。

 

しかし、実は「何かを忘れてしまう病」というよりも「忘れることができない病」であり、過去の記憶が現在において勝手にあらわれてしまう病である。

見当識障害も、見当識を失うというよりも、過去の見当識が現在に侵入してくる状態である。

 

妄想・易怒性・攻撃性などは、本人なりの状況対処としての回復の試みである。患者の世界を理解し、適切な対応をとることができると良い。ユマニチュードも大事である。

 

 

症例でわかる精神病理学

https://www.amazon.co.jp/%E7%97%87%E4%BE%8B%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E7%90%86%E5%AD%A6-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E5%8D%93%E4%B9%9F/dp/4414416442/ref=sr_1_1?keywords=%E7%97%87%E4%BE%8B%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E7%90%86%E5%AD%A6&qid=1663586705&sprefix=%E7%97%87%E4%BE%8B%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%2Caps%2C204&sr=8-1

 

中動態と寛容

僕が本書を読んだのは4年ほど前で、能動でも受動でもない”中動態”というのはとても印象的だったことを覚えています。

今回、ある人からのリクエストもあって、改めて読み直してブログにしてみました。

著者は、「ひまりん」(暇と退屈の倫理学)で有名な國分功一郎さん。

なにかライフハック的な明日から役立つ知識が得られる本ではありませんが、中動態について知ることで、少し他者に対して、または自分に対して、寛容になれるかもしれません。

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能動と受動だけでは語れないもの

「私は謝った。」これは能動である。
「私はA君に謝られた。」これは受動である。

能動と受動の関係では「意志」の有無が問題とされるように思われる。
能動は自らの意志による行為であり、受動は自らの意志とは無関係の行為だと。

ではもし「私は”イヤイヤ”謝った。」だとどうか。
この場合何らかの外的要因から謝らざるを得ない、という状況が含意される。
何らかの外的要因の影響を多く受けた行為の場合、完全な能動とは言いづらくなる。
しかし完全な受動でもない。最終的に自らの口を動かしているのは自分自身であり、他の誰かに無理やり口を動かされたわけではない。

このように完全な能動とも受動とも言い難い事態は日常にありふれている。
そうした事態を記述するための言語がかつて存在した。それが中動態である。

中動態とは

中動態という言葉は能動と受動の中間をイメージさせるが、それは「中動態」という言葉が作られたのが既に中動態が半ば失われた時代においてだったからであり、実際はそうではない。

中動態には様々な定義がなされているが、本書ではエミール・バンヴェニストのものが最終的に採用される。
中動は主語が過程の内部にあるもの。
能動は主語が過程の外部にあるもの。
(*受動に対立する能動ではなく、中動に対立する語としての能動)
中動の例:「欲する」・・・主語は欲望によって突き動かされる過程の内部にある
能動の例:「与える」・・・主語の外で完遂する行為である

意志と選択と責任 

早起きするかもう少し眠るか、米にするかパンにするか・・・
「人生は選択の連続である」とシェイクスピアは言った。

本書では選択と意志は別物だとしている。
選択とは、過去の経験や周囲の状況や自らの考えなどから、その都度行為を選び取ることである。
一方、意志は「始まりを司る能力」であり、外的要因とは一切関係なく、行為を選び取ることである。ただし実際には外的要因を一切受けないことはありえず、意志の存在を否定する哲学者も多い。

では、実社会においてはなぜ「意志」が問題とされるのか。
それは「責任」との関係においてである。

選択による結果に問題があった場合、その責任が問われる。
主体が責任をとるべきとみなされれば、選択に対して意志があったものと扱われる。

スピノザと中動態

スピノザは「神即自然」や「汎神論」という言葉が有名な哲学者である。
https://bc-liber.com/blogs/4b2b9cf416c1
 
 

リベロ

納得と自由【スピノザ『エチカ』/100分de名著】

こば
04/12 08:05
 

スピノザは、森羅万象すべてが神であると考える。
神だけが唯一の実体であり、自然も人間も動物も、すべては神が変状(実体が一定の性質や形態を帯びる)したものである、と。
この世のすべてが神であるのだから、神には”外部”が存在しない。
つまり神の視点からみると、すべての物事は「中動」である。

さて、神が変状した個物(=様態)としての我々は、その他の様態からの外的な刺激を受けて、自らを変状させていく。
太陽の光を浴びて日焼けしたり、他人に怒られてへこんだり。

外的刺激の本質をより多く表現した変状の場合、それは「受動」「強制」と呼ばれる。
逆に自らの本質をより多く表現した変状の場合、それは「能動」「自由」と呼ばれる。
*本質とは、自身の変状する能力のこと。また自身を維持しようとする力(=コナトゥス)のことでもある。

外的刺激を受けない存在は外部を持たない神だけであり、我々様態は外的刺激から逃れることはできない。そのため完全な自由は存在しない。
そして、自由と強制とはグラデーションである。

不自由の3つの理由

人間に完全な自由は存在しない。
その理由を本書では3つ述べている。
身体ないし気質、感情ないし人生、歴史ないし社会    191p

身体ないし気質とは、もって生まれたもののことである。
身長が160㎝台では、どうあがいてもダンクシュートはできない。

感情ないし人生とは、その人の過ごした時間の重みのことである。
愛されて育った実感のない人は、愛し方がわからない。

歴史ないし社会とは、周囲の人々との関係性のことである。
閉鎖的な環境だと、自分の中でやりたいことがあっても、周囲の目を気にして、やりたいことができない。

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本書の冒頭で依存症患者との語りが出てくる(架空の会話らしいが)。

まさに依存症は中動態そのものだと感じる。
やめたいと思いつつもやめられない。
自らの自由な”意志”で能動的に選択しているわけでもないし、誰かに完全に強制されているわけでもない。
依存症患者は「やめられない」という過程の内部にある。

僕らは簡単に”意志が弱い”などと、その人個人に責任を帰そうとしてしまうが、事はそう単純ではない。
その複雑性に思いをはせる一助として、”中動態”という言葉が役に立つのかもしれない。

僕らは何かに依存しなければ生きてはいけないのだから。

進撃の巨人    17巻)


【論より詭弁】言葉でなにかを表現することは詭弁である。だがそれの何が悪い。

 

 

本書の主張を一言でいうと、こうである。

言葉でなにかを表現することは詭弁である。だがそれの何が悪い。

あることを表現するとは、複数の可能な言葉から一つを選択することに他ならず、その際に、自分にとって最も都合よく、効果的な言葉を選ぶことは、説得を目的とするレトリックの立場から言えばむしろ当然の振る舞いである。

(中略)
余計なことに悩まず、自分の発言の目的にとって最も効果的な「名づけ」を選択すればいい。そして、その結果については自分が責任を引き受けるのである。自分の言葉に責任をもつとはそういうことだ。

(中略)
むしろ、こうした場合にやってはならないのは、自分の本心――本当に感じていること――に反して、できるだけ中立的で、客観的な「名づけ」を選ぼうとすることである。

(中略)
もちろんそれが、何らかの計算か配慮にもとづくものであれば、そうした「名づけ」には何の問題もない。だが、言語表現一般において、できるだけ自分の思想、価値観、 嗜好 等による断定を排した中立的な「名づけ」こそが正しいと考えるのであれば、それは人間の言葉の使い方として根本的に誤っている。それでは、自分が言葉をもっている甲斐がない。

39-40p    *太字引用者



そのほか、印象的だったポイントを以下に記す。


・論理的議論は、対等な人間関係でないと成り立たないが、実社会にはそのようなものは存在しない。

・論理やレトリックは弱者の武器である。強者にはそのようなものは必要ない。
レトリックは説得(可能な説得手段の発見)を目的とする

・言葉による表現は、順序がついてないものに、順序を付けて並べざるを得ない

a    B君の論文は、独創的だが、論証に難点がある。
b    B君の論文は、論証に難点があるが、独創的だ。    24p


・言葉による表現は、そもそも結びついていないものを強引に連結できる

K君は人柄がいいが、思想的に右寄りだ。    31p

→人柄がいいことと、思想的に右寄りであることは関係ない。
→むしろ、この連結により、語り手が、右寄りの思想に否定的であることがわかる。

・言葉選びで印象操作できる    しないことが難しい
例:言動や表情が少ない人間を見たとき、
肯定的に呼ぶなら「物静か」「クール」
否定的に呼ぶなら「陰気臭い」「暗い」

・事実と意見は厳密には区別できない(ただし、小中学生くらいを対象に大雑把な区別を教育することはそれなりに意義はある)
例:この聖堂は1612年に建てられた
→事実ではあるが、歴史的価値観を大事にしていなければそもそもこんな表現はしない。

・言葉を定義すると、必ず例外や矛盾が生まれる。例外や矛盾のない広い定義を作ると、殆ど意味がなくなってしまう。
プラトンは、「子供に討論の仕方を教えてはいけない」と言った。

・自分たちに賛成する意見は「気の利いた言い回し」、反対する意見は「詭弁」と言われる。

詭弁の認定が公平ではないという事実が、われわれが本当は詭弁を嫌ってなどいないということを裏側から示している。    84p

 

問いを出す側は、問いを構成する言葉を自分に都合よく選ぶことができるという特権をもっている。なので、答える側は用心しないといけない。

例:(あなたが死刑賛成だとして、死刑廃止論者からの問い)国家に人を殺す権利があるのか?
→「ある」だと独裁的国家容認のようになってしまうし、「ない」だと死刑反対になってしまう。
→「類似からの議論」で相手を自滅させると良い。
→「では、国家に人を監禁する権利はあるのか?」
→さすがに死刑廃止論者であっても禁固刑は認めているはずであり、これには答えられない。

「論証の厚み」:聴き手の納得感を得るには論証は複数必要なことがある。ただ論証同士が互いに矛盾することもあるため、注意が必要。

例:捕鯨反対の人の根拠

a    「鯨は高度の知能をもった高等な哺乳類である」 
b    「欧米の動物愛護団体の反発を招き、大規模な日本製品不買運動が展開される恐れがある」    57p

a:「定義からの議論」。本質論的。欧米の賛成反対は関係ない。
b:「因果関係からの議論」。プラグマティック(実際的)。鯨が高等な動物かは関係ない。
aの議論にbを加えると、かえってaの真摯さに疑いをもたれる。
bの議論にaを加えるのは、まったく無関係で、取って付けたような印象しか残らない。

 

「人に訴える議論」「発生論的虚偽」:議論の内容ではなく、議論をしている人物を否定することで議論を葬り去ろうとすること。論点の変更。

五つの分類がある。
1.悪罵型:発言した人物の人格等を攻撃することで議論を否定する。
2.事情型:発言した人物の、行動や過去の発言との矛盾を指摘することで議論を否定する。
3.偏向型:発言した人物の立場が公平でないことを指摘することで議論を否定する。
4.お前も同じ型:相手がこちらを非難してきたとき、相手も類似した行為をしていることを指摘して、非難を骨抜きにしようとする。
5.源泉汚染型:偏向型をより強めたもの。発言した人物の立場が根本的に偏っているため、その主張は到底受け入れられないと突き放す。

一方で、論点の変更は、必ずしも悪いわけではない。
例:咥え煙草をしているAさんが、Bさんの咥え煙草を注意した。
→Bさんは「あんたにそんなことを言う資格があるのか?」と言い返す。

自分は平然と「悪」を犯しながら、他人の「悪」は厳しく糾弾するというその不公平さを攻撃しているのである。それは「咥え煙草で道を歩いてはいけない」という発話の是非よりも、私にとっては優先すべき論点である。その論点に移行して、なぜいけないのか。    104p


→また、この場合Aさんの発言内容の真偽も怪しくなる。
自分が咥え煙草をしている時点で、それをそこまで悪いものだと思っていないことは明らか。命題としての真偽ではなく、Aさん自身の発言としての真偽が怪しい。

「先決問題要求の虚偽」:先決問題=前提の証明を無視した議論。

A    「K西先生が今度お出しになった詭弁に関する本を読んだけど、すばらしい名著だったな。まさに、眼から 鱗 が落ちたよ。」 
B    「僕も読んだけど、つまらなかった。」
 A    「馬鹿な!    君は勉強が足りず、読みが浅いからそんな愚かな評価をするんだ。」    124p

この場合Aは、その本が名著であること(=前提)は証明不要のこととしている。

循環論法も先決問題要求の虚偽の一種である。

【判断】 「『幽霊を見た』という、昔の人の話は信用できない。」 
【根拠】 「なぜなら、昔の人は迷信深かったから。」
 ⇔ 
【判断】 「昔の人は迷信深かった。」
【根拠】「なぜなら、昔の人は『幽霊を見た』などと言ったりするから。」    127p



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以下、感想。

医師として様々な場面で患者さんとお話をする。

重大な病気の可能性のある方に、遠方の高次病院まで搬送するかどうか。
高齢の家族を、最期まで家で診るかどうか。
心臓が止まったときに、蘇生行為を行うかどうか。
コロナワクチンの4回目を打つかどうか。
血圧を下げる薬を飲むかどうか。

昔は「パターナリズム」が主流だった。医師がこうするべきだと患者に言い、患者はそれに従う。

パターナリズムでは患者の自律性が尊重されない。その反省から、「インフォームドコンセント(説明と同意)」が生まれた。

癌の手術をするとA%くらいの確率で成功しますが、後遺症の可能性がB%あります。
手術はしない場合平均余命はC年くらいです。
手術+抗がん剤だと○○○で、抗がん剤だけだとXXXで・・・
さあ、どうしますか?


基本的には医学的情報は客観的(中立的)に述べることとされている。
しかし、本書にあった通り、そもそも言葉を完全に中立的に述べることは不可能であり、主観が入らざるを得ない。
手術の成功率90%と、失敗率10%は、内実は一緒だが、与える印象は異なる。

最近は「Shared decision making(共有意思決定)」という概念も出てきている。
これはその名の通り、医療者は医学的情報、患者は自身の状況や価値観などを共有しあい、そのうえで何がベストかを一緒に模索する方法である。

しかし、それでも決められない患者も多い。そうした患者はこう聞くのだ。

「先生だったらどうしますか?」
「先生の家族だったらどうしますか?」


だから、断定的な言い方は避けつつも、どちらかというと何を推奨するのか、というのはある程度述べるようにしている。

それはある意味「誘導」であり、本書の言葉を借りれば「詭弁」と言えなくもない。
しかし本書は「詭弁」を必ずしも悪いことだとは捉えておらず、むしろその肯定的な面も多く紹介されていた。

なので、これからも「詭弁」を上手に使いこなせるように精進していきたい。

「詭弁上手な医師」を目指します。


え、「詭弁」っていう言葉はネガティブな響きを持つからやめたほうがいいって?
うーん、確かに日常用語でもないし、「言う」に「危うい」っていう漢字の構成がすでに不吉な言葉だよね・・・。
やめたほうがいいかなぁ?
 



 
ジョジョの奇妙な冒険    41巻)

*「だが断る」の用例としてややズレている可能性は大いにある

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%A0%E3%81%8C%E6%96%AD%E3%82%8B
 
だが断るとは (ダガコトワルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
   「あ… あいつをひき込めば… あいつを差し出せば… ほ…… ほんとに… ぼくの「命」…は… 助けてくれるのか?」   ニタァ~ッ  「ああ~ 約束するよ~~~~~~~~~っ...
dic.nicovideo.jp

読みたいことを、書けばいい

 

起:本の要約

文章を書く時の心構えをユーモラスに記した本。

What:何を書くか
多くの場合、随筆を書くことになる。
=事象(出来事)に触れて、心象(思ったこと)を書く。
*事象中心の記述:報道、ルポルタージュ
*心象中心の記述:創作、フィクション

Who:誰に書くのか
自分が読みたい文章を書く。

How:どう書くのか
事象99%、心象1%。
事象のファクトをきちんと調べるのが重要。
一次資料を中心に調べる。
調べることで、自分が感動するポイントを見つける。
感動したポイントを中心に、過不足なく伝えるよう編集する。

書く形式は起承転結。
起:発見。何を経験したか。
承:帰納。具体的には。
転:演繹。一般化して考える。
結:詠嘆。感想と提言。

Why:なぜ書くのか。

書くことはたった一人のベンチャー企業だ。    185p

自分がおもしろがれることは、結果として誰かにとっても響くはず。

*WhenとWhereはおまけで、「いまここで」書けと書いてある。


承:試しに、書いてみる

夏本番、わが医局のエアコン争奪戦が佳境に入った。

私はもともとエアコン嫌いで、さらに最近は冷え症になってきたのもあり、エアコンは最小限しか使わない。しかし医局の若いDrたちは涼しい部屋が好みのようで、好きあらば設定温度を下げてくる。

些細な価値観の違いが、争いを生む。

世界から戦争が無くなるのはいつの日だろうか。



転:ユーモアとは?

ichikateiiryou.hatenablog.com


前回紹介した本によると、ユーモアについてはいくつかの説があるが、特に不一致説が有力視されている。
つまり、期待や予測と、現実の不一致により愉快さを感じる。ただしこの不一致はネガティブなものではなく、少なくとも無害か、不一致を解決したりするようなポジティブに捉えられるものでなければならない。

だから、エアコンが僕の意に反して低すぎる温度に設定されるのは、決してユーモラスではない。ただの宣戦布告である。

 

結:感想

タイトルがそのままメインメッセージになっていて、かつそれをユーモアたっぷりに伝える良書だった。

ユーモアは、意に反して人を傷つけてしまったり、(僕は滅多にないことだが)盛大にスベることもあるので、少々敷居の高い技術である。

でも、自分が「読みたいことを、書けばいい」のだから、自分がクスッとなればいいのだ。そう、これは決してセンス溢れるブログへの負け惜しみではない。決して。

【感情の本質は何か】状況と思考と身体をコントロールしよう

 


前回の音楽美学と同じ著者の本。
1985年生まれ、現在は比較社会文化研究院というところに所属していて、専門は, 心の哲学と分析美学らしい。

ichikateiiryou.hatenablog.com


本書は学生向けの講義をまとめたもので、口語体で書かれており読みやすい。

感情の本質とは何か?という基礎的な話から応用的な話まで色々出てくるが、とりあえず基礎的な部分を簡単にまとめてみる。



 

まとめ

感情とは、価値を捉える思考+価値に対処するための身体的な準備のことである。
価値=自分の生命や生活に影響を与えそうな重要な事柄

例えば道端で熊に遭遇すると、自分の命が危険(という価値)に曝される。
熊が危険な動物だと知っていれば、危険だという思考ができる。ただしこれは言語的な思考である必要はなく、システム1的な無意識的な思考のこともある。
危険からは距離を置くべきなので、心拍数が上がり、呼吸数が増え、筋肉は緊張し、素早く動けるように身体が準備を始める。
このような身体反応を感知すると、恐怖という感情があることがわかる。
つまり、恐怖は危険という価値を捉えている。

喜び→都合の良いこと
悲しみ→大事なものの喪失
怒り→不当な扱い、侵害行為

考察

このように理解すると、感情をコントロールするには大きく3つのアプローチがあると考えられる。

①価値を生み出す状況をコントロールする
熊の例でいえば、そもそも熊と遭遇する可能性が低い状況に身を置けばよい。
また、熊と遭遇してしまった場合に対処できる方法を準備しておくことも、恐怖を減らす一助になるだろう。
朝や夜は出歩かない、クマよけグッズを持ち歩く、引っ越すなどの手段が考えられる。
(ちなみに私の職場のある市の付近では、熊が時々出没する)

ただ、部屋に閉じこもっていれば危険への遭遇は大幅に減らせるかもしれないが、そうすると今度は「退屈」という感情にも対処しないといけないので、そのあたりの塩梅は難しい。「ひまりん」で書かれている第二形式の気晴らしも見につける必要がある。

https://bc-liber.com/blogs/fd3bb7513954
 
 

リベロ

「人生なんてつまらない」と嘯く、冷めたあなたへ。【暇と退屈の...

こば
12/08 18:32
 

②思考をコントロールする
怒りは不当な扱いという価値を捉えるが、システム2的に冷静に見つめ直すと違う側面が見えてくることもある。
妻に過剰に心配され「そんなに僕は信頼できないのか」と怒りを感じたとき。話を聞くと、妻は僕を信頼できないのではなく、ただ不安を表明しているのだけだと気付く。そうすれば「不当な扱い」という価値は消え、必然的に怒りも収束する。

③身体をコントロールする
自律神経に直接アプローチするのに最も手っ取り早いのは、呼吸をコントロールすること。瞑想でもマインドフルネスでも呼吸を重要視している。


「Think clearly」にも書いてあったが、ネガティブな感情がわかずに穏やかであれば、大抵人間は幸せなので、こうしたアプローチを色々身に着けておきたい。 



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(以下、メモ)


第2講
感情の本質は何か?
5つ候補あり
1.知覚    →    ×:知覚しなくても想像だけでも感情は生まれる
2.思考
3.身体反応
4.感覚    →    行動の準備である身体反応を感じたもの
5.行動    →    行動の傾向と考えれば、3と同一

思考と身体反応が残る。

思考について
・毒ガエルは毒があると知っていれば、怖い。知らなければ、怖くない。つまり、思考なしに感情は生まれない。
・赤ちゃんや動物は成人並みの思考はできないが、感情はあるように見える
→感情の本質に含まれる思考は、赤ちゃんや動物にもできるような形式の思考である。

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第3講
身体について
・ジェームズ=ランゲ説:感情は、身体反応を感じ取ったもの=身体反応の感覚である。
心拍数の上昇、頭に血の昇る感覚などの身体反応がない怒りは、なさそう。
では身体損傷で身体反応が乏しくなると感情もわきにくくなるのか?→そうでもなかった。

感情は周囲の状況が持つ価値に対する反応である。
悲しみは大切なものの損失、怒りは不当な扱いや侵害への反抗心
→ジェームズ=ランゲ説では説明できない。

・表情フィードバック仮説:表情や身体動作により感情が制御される。
笑顔を作るとポジティブな気分が少し増幅される。
深呼吸をすると怒りや恐怖や不安が少し落ち着く。

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第4講
感情が持つ価値を捉える役割を重視した理論

感情には志向性があり、必ず対象がある
その対象が価値であり、具体的なものと抽象的なものがある

感情二要因説
感情は身体反応の解釈により変わる

評価理論
対象の評価が先で、その後身体反応だ、という主張

対象の評価=思考は、非言語的なものも含む
快・不快の判断など、赤ちゃんや動物でも可能なもの

まとめ
感情=価値を捉える思考+価値に対処するための身体的な準備

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第5講
基本感情

価値は、その客観的(間主観的)状況により変わる
・普通の恰好だとハチは危険だが、完全に肌が隠れていれば危険ではない
・日本だと上座に下っ端が座ったら怒られる

価値は、知識がないとわからないものもあり、知識がないと不適切な感情を惹起しうる

基本感情=生得的感情
・人間なら共通にもつことができるとされる感情
・エクマンの調査による結論:怒り、恐怖、驚き、喜び、嫌悪、悲しみの6つ(諸説あり)

感情の感情価:ポジティブな感情とネガティブな感情
ポジティブな感情→原因との関わりを増やす行動を促す
ネガティブな感情→原因との関わりを減らす行動を促す

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第6講
複雑な感情

基本感情が混ざることで複雑な感情が生まれる

例:誇り≠成功の喜び
=成功によって自分の評価が高まることの喜び
→他人からの評価を気に掛ける社会性が必要

例2:希望≠単なる喜び
=状況が改善されそうなことに対する喜び
→過去や未来の予測や比較が必要

例3:罪悪感≠単なる悲しみ
=自分が道徳違反を犯したことに対する悲しみ
→道徳の理解が必要

例4:嫉妬
=自分より他人が良い状況にあり、その利益は自分が得られるはずだったと考えているときの悲しみ・怒り・憎しみ
→状況理解や比較能力が必要
*嫉妬は自分が得られるはずだった利益を守る行動を促す役割がある


文化の影響
・感情の思考的側面は文化の影響を受ける
・特定の文化に特有の感情もある
・感情を表に出す行動も文化の影響を受ける    日本はあまり出さない    欧米は出す

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第7講:無意識の感情

感覚とは
感じられるもの、意識に現れるもの=クオリア
感覚が立ち現れる前に、細胞レベルの情報処理など意識できない(無意識の)反応が起きている
→感覚は、無意識の領域での反応の結果

例:揺れる吊り橋を渡る
→無意識に筋肉を緊張させ、動きを遅くして慎重に渡る
(渡り切ってから緊張していたことに気付く)
→無意識に価値認識と対処行動を行っている=感情が役割を果たしている
→無意識の感情があったと言ってよいのでは?

意識や感覚が存在する意義・・・

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第8講:他人の感情
他人の感情は見えない。なら、実は他人には感情がないんじゃないか?

表情は感情を表すのか?表すとは?
①<表すもの>と<表されているもの>は別物、
②<表すもの>を介して<表されているもの>の情報が得られる
③<表すもの>は<表されているもの>と比べて正確さを判定できる

例)<表すもの>東京タワーのポストカード<表されているもの>東京タワー

表情が<表すもの>、感情が<表されているもの>だとすると、③の比較ができない。
→感情そのものの存在が不明確になってしまう


表情は感情の一部だと発想してみる
→感情の身体的側面のいくつかは、目に見えるため、それを見て取ることで「感情を見る」ことは可能

例)本全体を一度に丸ごと見渡すことはできないが、「本を見る」ことはできる

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第9講

気分と感情の違い
・気分は弱い感情?
・気分は長続きする感情?
・気分は感情を抱きやすくなる状態?潜在的な感情?
・対象が異なる?感情の対象は明確、気分の対象は不明確・多岐に渡る    →これが一番尤もらしい

憂鬱という気分は何のためにある?
階級闘争に負けた個体が、すぐさま再戦を挑むのはリスキー
→思いとどまらせる効果
*勝者も憂鬱になる、階級闘争以外でも憂鬱になる点は合わない

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第10講    理性と感情

感情と理性は対立するものではない
・感情と理性的な思考:どちらも価値を捉えている
・感情にも合理的なものと不合理なものがある
・むしろ、感情による価値の判定は、理性的な判断のために必要かもしれない

感情はシステム1,理性はシステム2

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第11講    感情と道徳

道徳的判断
・価値判断    →    感情にも影響
・べき
・義務論はシステム1,功利主義はシステム2

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第12講    恐怖を求めるのはなぜか

負の感情のパラドックス
バンジージャンプは怖いのに、なぜ求める人がいるのか?

・消去説:本当は負の感情は生じてない
バンジージャンプは安全だから恐怖は生まれない
悲しい曲を聴いているときも、何も喪失はないので悲しみは生じない

・補償説:恐怖を上回るポジティブな感情がある
バンジージャンプは非日常体験で喜びや興奮が得られる
悲劇でデトックス効果がある、大事な教訓が得られる

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第13講    感情とフィクション

なぜフィクションに感情移入するのか

ごっこ説:怖がるふりをしている
思考としてはフィクションだとわかっている
身体はリアルと似たような反応をする

・思考説:思い浮かべて怖くなる
フィクションの状況を思い浮かべて恐怖が生まれる

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第14講    ユーモア

愉快さ:ユーモアを捉える感情
ユーモアの価値とは?

優越説:愉快さとは、自分が他人より優れていると気付いた時の喜び
→必要条件でも十分条件でもない

解放説:高まった神経エネルギーを解放することで愉快さが生まれる
→「神経エネルギー」があいまい

不一致説:期待や予測と、現実の不一致により愉快さを感じる
→ネガティブな不一致もある。
→どんな不一致ならポジティブ?
・無害さ
・不一致の解決

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第15講    まとめ

身体反応や思考のコントロール    →    感情のコントロール