家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

贈る言葉【野の医者は笑う―心の治療とは何か?― 】

ふとしたきっかけから怪しいヒーラーの世界に触れた若き臨床心理士は、「心の治療とは何か」を問うために、彼らの話を聴き、実際に治療を受けて回る。次から次へと現れる不思議な治療! そしてなんと自身の人生も苦境に陥る……。それでも好奇心は怪しい世界の深奥へと著者を誘っていく。武器はユーモアと医療人類学。冒険の果てに見出された心の治療の本性とはなんだったのか。
「心が病むってどういうことか」「心の治療者とは何者か」そして「心が癒やされるとはどういうことか」底抜けに楽しく、そしてほろりとくるアカデコミカル・ノンフィクション!

文庫版古いバージョンをkindleで買い、何年か前に読んだ。
最近医療の周縁の本を色々読んでいて、再読することに。

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要約


人を癒やすヒーラーである野の医者は、自らも傷ついた経験がある。
癒す人と癒やされる人は相補的である。
私はこの頃になってようやく、野の医者とは傷ついた治療者であると同時に、癒やす病者なのだということがわかってきた。これは大きな発見だった。つまり、彼らはまだ癒やされている途上にある病者なのだ。と言うか、癒やす人と癒やされる人は深く繋がっている。 kindle位置2024

一方、科学の発展は、治療者と病者を一方的な関係として分断する。
おそらく、科学的な医学によって初めて、癒やす人と病む人、治療者と病者が別々のものになったのだろう。科学は混沌としたものを分けて、分離していくものだ。そうやって、科学は近代社会の治療者を専門職として、病者から分けていったのだ。 kindle位置2034

また、心の治療とは、 クライエントをそれぞれの治療法の価値観へと巻き込んでいく営みである、と語られる。
精神分析なら悲しみを悲しめるようになること、ユング心理学ならその人が生きてこなかった自己を生きていくこと、人間性心理学なら本当の自分になっていくこと、認知行動療法なら非合理な信念を捨て去り生きていくこと、マインドブロックバスターならマーケティングにさとく経済的に独立して生きていくこと、X氏なら軽い躁状態になって素早く起き上がること。
治療の種類によって、何が治癒であるかが違うのだ。 kindle位置3856

つまり、野の医者は自らも傷ついた経験があり治療で癒やされた経験があるが故に、その治療法の価値観でもって病者を癒そうとする。(傷ついた経験のない、科学的に治療を学んだ医師や心理士等は、必ずしもそうではない)

贈る言葉


別に世代ではないのだが、有名な歌である。
歌詞に、こんな台詞がある。
人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから

傷ついた人の方が、人を癒やすことができるのだ、と。

僕自身も若い頃、それなりに悩みを持ち、傷ついてきた。(端から見れば比較的恵まれた暮らしをしてたとは思うが)
そうした経験は、もしかしたら傷ついた人と接する時に生きているのかもしれない。

ふつうの相談における価値観は?



本書は「ふつうの相談」よりも数年前に書かれた本なので、ふつうの相談についての考察は当然含まれていない。

上記ブログで、ふつうの相談0について以下のように記載した。
ふつうの相談0は、民間セクターで行われるケアである。熟知性を通じて相手を知り、世間知を説明モデルとすることで相手を理解し対応する。このとき相手の苦悩は個人症候群のレベルで取り扱われる。

ふつうの相談0においては、世間知が説明モデルとなり、価値観となる。
つまり、その世間における「良い生き方」を規範とすることになる。


翻って、僕が普段の診療で行っている「ふつうの相談」はどのような生き方を規範としているのか?を考えると、「相手が望む生き方・価値観を最大限尊重すること」を規範にしている気がする。
(ふつうの相談に限らないが)

うつ病の人が職務復帰を希望していれば、「まずは毎日1時間外出できることを目指す」、などの方策を考える。
・高齢者の肺炎で、負担の少ない範囲での検査治療を希望しているなら、「心肺停止時に蘇生行為は行わないが、点滴治療は行うし場合によっては入院加療も検討する」、などと考える。