家庭医療専門医の勉強記録

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摂食障害の分人【なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学 :ブログ振り返り】


約2年前のブログ。
我ながら、結構よくまとまっていると思う(自画自賛)ので、ブログ内容については特に追加することはあまりない。

元ネタの本では、(ブログでは敢えて書かなかった)個々の摂食障害の事例の詳細が描かれている。
そちらを読み返して思ったこと。

 

摂食障害に苦しむ患者、以外の顔があまり見えない。


どの事例もそうだが、摂食障害に本人も周りも苦しみ、食べ過ぎは良くないと思いつつ食べ過ぎてしまい、吐いてはいけないと思いつつ吐いてしまう。

何年も経って症状がピークを過ぎたように見えても、時折過食嘔吐の症状が出てしまったりと、この障害が一筋縄ではいかないことが感じられる。

ただ、24時間365日、常にそうというわけでは当然なく、学生や社会人として生活を送っており、そのことについても記載はある。ただ「摂食障害」をテーマとした本である以上仕方ないが、そうした生活の部分の詳細については事細かに書かれてはいない。その結果、摂食障害に苦しむ患者としての苦しみはよく伝わってくるのだが、それ以外の顔についてははっきりとは見えてこない。


話は変わるが、僕はブログ執筆時、摂食障害の方の診療をしていた。
(翌年に大学進学のため引っ越しして、それ以降は会えてないため、現在どのように過ごしているかはわからない)

関わっていたのは1年半ほどの期間だったが、いま振り返ると、「摂食障害の患者」というフィルターを通してしか彼女と関われなかったように思う。
実際彼女は一番ひどいときで体重が30kg(身長は150cm台だった)を切っており、入院治療も検討が必要なほど重症ではあったので、そのフィルターが必要だったことは間違いない。
また、親との関係性であったり、学生生活の悩み、受験の悩みなど、心理的社会的な状況についても診察のたびに色々聞いてはいたから、決して病気しか見ていなかったわけではない。
とはいえ、それらの情報はあくまで「摂食障害の患者」に付随するものにすぎなかった。

僕は立場上そのフィルターを外すことはできなかったし外すことが適切だったわけでもないけれど、そのフィルターがあること自体は忘れてはいけないなと改めて思った。


*別の言葉で言うと、”自分が見ているその人は、あくまで自分向けの「分人」に過ぎない”、ということに自覚的でありたい。