家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

【聖なるズー】「*注意」参照

*注意

本書は「動物性愛」というテーマを扱っています。
動物性愛とは、簡単に言えば「動物を性的な対象として捉える」ことであり、これだけでも人によっては嫌悪の対象となりうるテーマだと思います。
このブログでもそうしたセンシティブなことを取り扱いますので、ご気分を害された方がいましたら、申し訳ありません。


とはいえ、本書は僕にとって非常に印象的な本であり、実は最初に読んだのは3年近く前なんですが、今回改めて言語化したいと思って再読、ブログにしました。

お手に取って読んでいただく方が一人でもいれば、うれしいです。
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【要約】

性暴力被害の経験のある著者が、自らの経験を乗り越えるために、性や愛に関して学術的に経験しようとする中で、「動物性愛」というテーマに出会った。
調べていくうちに、ドイツのゼータという動物性愛者の団体を見つけ、インタビュー研究のためにドイツに滞在した。
動物性愛者(=ズー)へのインタビューを通して、人と動物との対等性、動物の性などが考察される。

【動物性愛とは】

人類と動物との性行為自体は、古くから記録が見られる。(詳細は下記Podcast参照)
歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO):Apple Podcast内の【26-1】[PG-18] 性の歴史 ー人類が紡いだ愛とセックスの物語ー【COTEN RADIO 性の歴史編1】

「動物性愛」という用語が使われ始めたのは19世紀末。
クラフト=エビングという精神医学者が、自身の著者で用いた。
彼は非病理的な行為を「獣姦(bestiality)」、動物への性的なフェティシズムが見られるものを「ズーフィリア・エロチカ(zoophilia erotica)」とした。 35p
フェティシズム:フランス語の「フェティッシュ(物神、呪物) 」から生じた言葉であり、ある対象、あるいはその断片を偏愛する態度のこと。https://tinyurl.com/2kwt38ug

現在、精神医学では、動物性愛はパラフィリア(異常性愛)のひとつ、つまり精神疾患とされている。
一方で、2000年代以降、動物性愛を病理的ではない性的志向のひとつとして捉える動きもある。
性的指向
「誰に、あるいは何に対して情緒的結びつきを感じるか」「誰と、あるいは何とのセックスを妄想するか」「誰と、あるいは何とセックスをするのを好むか」という三つの側面の相互的なかかわりからなるとされる。 35p

また、動物性愛にまつわる議論としては、その行為が「動物への虐待」になるかどうかが焦点になることが多い。

このように動物性愛は、精神疾患、個人の性的志向、犯罪など様々な側面から語られる議論含みのテーマである。

【動物の性欲】

動物をペットとする人は、多くの場合彼らを「家族」と考える。
ではペットは家族の中のどのような地位にあるのか。
父親や母親といった地位になることはまずなく、動物は「子ども」扱いされるのだと本書では指摘している。
ペットに与えられる地位は自動的に「子ども」となる。だからこそ、ペットへの態度がときにいきすぎた子ども扱いとなったとしても、人々はどこかで共感を持って理解できるのだ。 84p

かつて、子供の「性」の目覚めは忌避されるものとして扱われた。18世紀から19世紀にかけて、欧米ではマスターベーションを悪習とする風潮があり、マスターベーションを防止するためのさまざまな器具や機械が開発されたこともある。
著者は、同様の現象がペットに対しても起きているのでは、と考察する。
保護すべき、純粋な存在であるはずの子どもの性の目覚めは、大人にとっておぞましいものだった。これと似た現象が、ペットの犬に対して現在、起きているように思える。十八~十九世紀の子どもたちに続いて、今度は犬たちがセクシュアリティの抑圧を受けている。汚れのない「子ども」である犬には、生々しい性があっては不都合だからだ。 86p

暮らしをともにする、犬などの動物の性を無視していいのかという問題提起は議論を呼んでもいいはずだと、著者は主張する。
私が見てきたズーたちにとって、ズーであることとは、「動物の生を、性の側面も含めてまるごと受け止めること」だった。 210p

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【感想】

・多くの人と同じように、私も「動物性愛者」についてほとんど知らなかったし、生理的な嫌悪感のようなものさえあった。
しかし本書を読むことを通じて、生理的な嫌悪感は少し減ったように思う。とはいえ、自分自身に動物性愛の自覚はなく、実際に動物性愛者を目の前にしたらどういう反応をしてしまうかはわからない。

・既に他界したが、以前実家で犬(メス、名前はコロ)を飼っていた。保健所で殺処分されそうになっていたのを、母が引き取ってきた。飼い始めた当初小学校低学年だった私は、コロを可愛がり、その存在に大いに癒されてきた。コロは去勢されており生殖能力はなく、また私自身はコロの性欲というものを感じたことも意識したことすらなかった。コロのことを丸ごと愛していたつもりだが、コロの性という側面については全く意識の外だったなと思う。

・本書で一番印象的だったシーンは、実はエピローグだ。著者はゼータのメンバーと別れる際にプレゼントをもらい、号泣してしまう。人と深く関わり会うなら、客観的な立場で居続けることはできないと筆者は語る。
私にはズーを通してセックスや愛を考えたいという個人的な目的があって、そのためにはいつも客観的であることを心がけねばならなかった。だが、人間同士が出会い、かかわるとき、常に客観的立場を押し通せるものではなかった。 228p
私は医師として日々患者さんと接するが、ほんとうにそうだと思う。客観的な分析も行うが、主観的な思いが混じることは避けられない。それを自覚し、内省を行うことがプロとして必要だと思う。