家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

「7つの習慣」や「人を動かす」が好きな方へ【自己啓発の時代】

 
 

ブログ目次

こんな方にお勧め
ブログまとめ
本書の目的
結論①
結論②
結論③
読後の感想

こんな方にお勧め

7つの習慣
人を動かす
チーズはどこへ消えた?
夢をかなえるゾウ
雑誌「an an」
日経ウーマン
頭がいい人、悪い人の話し方
もしドラ
断る力
考えない練習

こうした本を読んだことのある方なら、それらを社会学的にメタ認知する視点からとらえた本として読んでみると面白いかもしれません。

ブログまとめ

自己をめぐる問いは社会的に規定される。では今日がどのような社会なのかを「自己啓発メディア」を通して社会学的に研究したのが本書である。

本書の結論は3つ。
①今日の社会は「脱埋め込み」により伝統が相対化し、個人が揺らいでいる。そのため、多くの個人はPDCAを回すように自己を絶え間なくアップデートしなければならない、と感じている。自己啓発メディアはそんな個人をアップデートするためのツールを提供する役割を果たしている。
自己啓発メディアは自己をアップデートさせようとするが、根本的な価値観までは問い直さず、むしろその価値観を強化するような役割を果たしている。それは個人だけでなく社会の価値観の分散をも再生産する。
③それぞれの自己啓発メディアは、特定の人物や組織(権能)によって導かれている。このような権能は流動的ではあるが、権能の有無の不均等は小さくない。そこにはむしろ断定的メッセージを好むような消費者の傾向も見え隠れする。


本書の目的

本書は、自己啓発メディアの世界観を社会学的に読み解くことを目的としている。
本書が目指そうとするのは、「『自己』とは何か」という問いそのものに答えを出すことではなく、「『自己』とは何か」ということを自然と考えさせられてしまうような社会の構成に目を向けることを通して、「自己」について、また私たちの生のあり方について考える、新たな一つの視角を立ち上げてみることである。    4p    

「私」って何だろう。
「自分」とは何者なのか。
あんな・こんな「私」になりたい。
「自分」を変えたい。
もっと「自分」らしく生きたい。
もっと「自分」を高めたい。

このような「自己をめぐる問い」は誰もが一度は考えるものだが、概してこのような問いは心理学や哲学の範疇だと捉えられがちである。

しかし、このような問いに答える手段は心理学や哲学の本を読むだけではない。
自己啓発書を読む、SNS等で自分の思いを発信する、自分探しの旅に出る、仕事に打ち込む、ボランティア活動を行う、占い師に相談する・・・など様々な選択肢がある。このように、私たちの周りには「自己をめぐる問い」に取り組み、考え、表現するための多くの手掛かりがある。しかし、このような手掛かりは社会によって当然異なる。
たとえば、生まれてから死ぬまでの身分が固定的な社会において、本章冒頭のような問いが人々の関心を集めるとは考え難いし、服飾産業が発達していない社会では服装によって自己を表現するなどという感覚はありえないものだろう。    12p

つまり、「自己をめぐる問い」やそれに対しての答えのバリエーションは、社会的に規定される。そのため、社会を観察することを通して、「自己の体制」(私たちにとっての自己の可能かつ望ましいあり方)を描き出すことが本書の目的となる。

具体的には、本書の場合は自己啓発書・就職用自己分析マニュアル・女性誌「an.an」・ビジネス書といった「自己啓発メディア」について社会学的研究が行われる。


結論①

今日の社会はどういう状況にあるのか。
アンソニー・ギデンズによると、今日の社会は「脱埋め込み」が浸透した社会である。
近代社会では、それぞれの伝統的共同体内部で保持されてきた慣習や伝統が、近代国家の介入や科学的知識の浸透、ヒト・モノ・情報の流動性上昇等によって相対化され、吟味されるようになる。これが「脱埋め込み」である(Giddens 1990=1993:35-44)。    18p
簡単に言えば、「伝統への素朴な信頼が揺らいだ社会」である。

伝統・社会が揺らげば、個人も揺らぐ。
揺らいだ個人は何かにすがりたくなる。
すがる先の選択肢として最も多いものの一つは、消費である。
好きな商品を買い、自らとライフスタイルを意のままにできる。
しかし消費する商品や文化は次々と変化するから、それに合わせて自らを臨機応変に変化させなければいけない。
このような、「絶え間なく自己観察と自己反省を行い、また自己理解を再構成する志向を終わることなく保持し続けなければならない現代的自己のあり方(19p)」を「自己の再帰的プロジェクト reflexive project of the self」と呼ぶ。

今日の自己啓発メディアにおいては、自らの内面を可視化し、コントロール可能とするような感覚を社会に拡散させるような機能(内面の技術対象化)が広く見られる。
これは「自己の再帰的プロジェクト」がより技術的に洗練されて促進されているともいえる。


結論②

自己啓発メディアにおいては、自己の再帰的プロジェクトにより自らを問い直すことが行われるが、実は根本的な前提自体は問われずに再生産されている。

たとえば、雑誌「an an」は恋愛を至高のものとするような「ベタ」な「女らしさ」を前提としていて、その上で自らを問い直している。そして、そうしたメディアを介することで、そのような(恋愛を至高のものとする)価値観が強化される。これにより社会的な価値観の分散までもが強化される。
その意味で自己啓発メディアとは、自分自身だけを塗り替えていくようなテクノロジーではない。それは社会における自分自身の位置を(再) 生産し、また社会における価値観の分散をも(再) 生産していくようなテクノロジーでもあるのだと考えなければならないのである。    266p





結論③


それぞれの自己啓発メディアは、特定の人物・組織によって導かれている。
特に最近は人間の内面や行動を専門的に扱う「心の専門家」(精神科医脳科学者、心理学者、恋愛コンサルタントなど)が登場する場面が増えている。



ただし、このような権能は流動的である。

とはいえ、権能を有する者とそうでない者という不均等は存在している。
これは、断定的なメッセージが好まれることとも無関係ではない。
「自己のあり方を断定し、支配的な影響を及ぼしてくれるような権威が積極的に希求されている(売上を伸ばしている) という、ある種転倒した事態(275p)」(=断定的消費)がみられる。

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読後の感想


まず、この本は結構文体が硬くてとっつきづらい。
(その割には比較的読みやすかったが)
元々は博士論文だったものに加筆修正を加えたものだそうで、さもありなん。
いわゆる「質的研究」に相当し、分析対象とする書籍の選定や、分析の手法なども厳密に行われている。

医学分野以外の質的研究はほとんど読んだことがなかったので、慣れ親しんだ自己啓発書が分析されていく様は興味深かった。

そして、著者は1980年生まれの方。2012年第一刷発行とあるから、その当時32歳。
今の僕より若い。世の中凄い人が大勢いるもんです。

「自己の再帰的プロジェクト」は、僕自身も特に以前はかなり取り組んでいたし、「7つの習慣」などを熱心に読んでいた時期もある。もちろんそれ自体は悪いことではないし、これからも多かれ少なかれ僕の中でもプロジェクトは続くだろう。

でも、本書のような俯瞰的視点も一視点として「あり」だと思った。著者の方も最後にこう語っている。
自己をめぐる問いに、はっきりとした答えをすぐ出し、行動に移すことばかりがつねに「正しい」あるいは「善い」わけではないだろう。「自己とは何か、どうあるべきか、そのために何をすべきか」そのものではなく、「自己とは何か、どうあるべきか、そのために何をすべきか」を自然と考えさせられてしまうような社会の構成に目を向けることも、正しいかどうか、善いかどうかは全く定かではないが、自己という対象に向き合う一つのアプローチとしてありえるはずなのだ、そう筆者は考えるのである。    285p


あ、一つだけ本書に反論しようと思ったことがあることを記しておく。

近代社会が「脱埋め込み」が浸透した社会であるという指摘は確かにその通りだと思うけど、「脱埋め込み」は近代社会特有のものではなくて、既存の伝統・価値観が揺らぐ時代というのは過去にも何度もあった。
狩猟時代から農耕時代、封建社会から民主主義など。

だから、「自己をめぐる問い」も、近代特有ではなく、今までも何度も起きてきたし、多分これからも起きるんだろうと思う。