家庭医療専門医の勉強記録

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古典を「古典として読み」たい【読書と社会科学】


 
 

まとめ

・情報を得る読書だけでなく、概念装置を獲得できるような読書も大事である。
・概念装置の獲得とは、筆者が見るような仕方で世界を見る方法を手に入れることである。
・古典は新奇な情報はなくとも、知っていることが新鮮に見えるような効果がある。
・古典も少しずつトライしてみよう。

要約①古典として読む、概念装置を獲得する

本の読み方には「情報として読む」のと「古典として読む」の二つがある。

「情報として読む」場合、新しい情報を得ることが読書の目的となる。
「古典として読む」場合、情報の受け取り方を変える(=概念装置を獲得する)ことが読書の目的となる。
この時の読書の対象となる「古典」は、文字通りの古い名著のことだけではなく、新しい本でも「古典として読む」ことはできる。あくまで読み方の問題。
変えるといって悪ければ新しくする。新奇な情報は得られなくても、古くから知っていたはずのことがにわかに新鮮な風景として身を囲み、せまってくる、というような「読み」があるわけです。
(中略)
古くからの情報を、眼のも少し奥のところで受けとることによって、自分の眼の構造を変え、いままで眼に映っていた情報の受けとり方、つまりは生き方が変る。 13p
*正確には古典として読むことの一部に概念装置の獲得があると記載がある(33p)ため、筆者的にはイコールではないそうだが、私には違いがわからなかった。

概念装置と対になる言葉は、物的装置である。
例として電子顕微鏡が挙げられる。電子顕微鏡を使えば肉眼では見えない世界が見える。この装置を使うことで、否応なしに世界が別様に見える。

つまり、概念装置を獲得する、というのは世界を別様に見る装置を脳内に組み立てる、ということである。読書に即して言えば、筆者が見るような仕方で世界を見る方法を手に入れる、と言ってもいいかもしれない。

ただし、概念装置は本の中で明文化して語られていることは少なく、その獲得は簡単ではない。

獲得するためには、
1.本の内容を仮説的に信じて丁寧に読む。
2.本の内容を読む自分の眼を信じる。
3.読書の結果として生じる疑問を大切にする。
ということが必要である。

要約②自然法

本書では概念装置の具体例として、「(近代)自然法」が取り上げられる。
これは、経済学が生まれる大枠となった概念装置である。

自然法は実定法の対となる概念。
実定法:社会のうちで実際におこなわれている法律。
自然法:人間が自然状態にあったときに支配していた法。普遍性を伴う。

これは、「法」という言葉が持つ「法律」と「法則」に対応している。
実定法≒法律:人間により定められ、強制力を持つ。違反すると罰せられる。
自然法≒法則:定めた者はいない(神が定めたともいえる)。違反すると事が上手く運ばない。

この自然法という概念装置は何の役に立つのか?
「何か物事がうまくいかないときに、実定法が、自然法に反していないかを追求する」、という発想ができるようになることが要諦と思われる。

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感想


本書を読んだきっかけは、上記ブログで紹介したVoicy。
ストラクチャードリーディングに関しては、本書では一切触れられてなかったが、著者の概念装置を読み取る一手法として位置づけることができそう。

本書は1984年に書かれており、かなり長い間読まれ続けている作品のようだ。
概念装置という発想も、同じようなことは違う本でも聞いたことがある気がするし、新奇ではない。

じゃあ新鮮さはなかったかと言えばそうでもなく、特に物的装置との対比はなるほどと思わされた。

いわゆる古典の類は、読みにくいし、書いてあることも他でも聞いたことのあるような事の焼き直しのような気がして、あまり手を出せてなかった。
でも、新鮮さを感じるという意味で、トライしてみてもいいかもしれない、と思った。