仏教の哲学的側面を考察した本。
存在
言語
心
自然
絶対者
関係
時間
の7つについてそれぞれ仏教の側面から論じている。
仏教の本を読むといつも思うが、理屈ではなんとなく理解できる気はするが、実感としては理解できてない。
やっぱり身体的な実感がないと、体得できないんだろうなと思う。
座禅も毎日はできてないが、マイペースで取り組みたい。
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以下、メモ。
存在
・「常一主宰」としての我を否定。=無我
・すべては関係性の下で成り立っている。
直接的な原因(因)と間接的な条件(縁)があいまって結果(果)が生じる。=縁起
・すべては関係性の下で成り立っている。
直接的な原因(因)と間接的な条件(縁)があいまって結果(果)が生じる。=縁起
心
・自我に執着する心の働きを末那識という。
善行をしていても、末那識は常に自我に執着しつづける。
善行をしていても、末那識は常に自我に執着しつづける。
とすれば、人間のおこなう善はすべて偽善だ、ということになるのであろうか。しかし仏教は必ずしもそうは見ていない。意識が書を選択し実行することは大切なことで、その意識の自覚的な選択が、末那識をも変えるようにはたらいていくと見ているのである。 71p
自然
・身体は環境との相互作用によりはじめて生命が維持可能であり、身体と環境はセットとして一個の生命として捉えてもいいかもしれない。
絶対者
・一般的に、仏教は、一神教のような絶対者を想定しない。しかし、浄土教など大乗仏教の一部は一神教的側面がある。とはいえ、たとえば浄土教の阿弥陀仏は、仏教全体でいえば多くの仏の中の一つにほかならないのであり、相対的な絶対者とでもいうべき立場にある。
関係
・十は一を足していくことで成立するから、一なしには十はあり得ない。なので一の中に「十」が含まれる。
・逆に、一は十から順に数を減らしていくことで成立するから、十なしには一はあり得ない。なので十の中には「一」が含まれる。
・つまり、諸々の構成要素の一つ一つが、それぞれ全体にほかならない。
・逆に、一は十から順に数を減らしていくことで成立するから、十なしには一はあり得ない。なので十の中には「一」が含まれる。
・つまり、諸々の構成要素の一つ一つが、それぞれ全体にほかならない。
時間
・「世界」はもともと仏教用語。「世」は時間、「界」は空間。
・未来や過去は存在せず、刹那としての現在しかない。
・未来や過去は存在せず、刹那としての現在しかない。
実際、時間のすべては、今にあるというべきである。このことは、あのアウグスティヌスも言ったことである。過去は今の心における想起であり、未来は今の心における期待である。 187p
・現在の刹那が生じると同時に、その一瞬前の刹那は滅する。現在の刹那が滅すると同時に、直後の刹那が生じる。
・今としての時間は、いくつもある。個人の数だけ今がある。
・今としての時間は、いくつもある。個人の数だけ今がある。