家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

【旋回する人類学】おせっかいとケア

 
 

本書は、人類学の学説史を6つのテーマ(人間の差異、他者理解、経済行動、秩序、自然と宗教、病と医療)毎にまとめた本である。
タイトルの「旋回する人類学」には、転回をくり返してきた人類学の変遷と、そんな変化の前後をぐるぐるめぐりながら人類学の現在地を見定めようという二つの意味が込められている。    3p

著者は松村 圭一郎さん。
1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は文化人類学

他の著書を以前ブログに書いたことがある。


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全部まとめようとしたら文章が長くなりすぎそうなので挫折。
特に印象的だった一部だけ自分の所感とともに載せる。

ケアの話

・ケアとは人間の発達のプロセスである。人は長い時間をかけて他者のケアを学ぶ。
・人間関係の中心にケアがあり、それは分かち合いのプロセスだ。
確かに、医療職だからということを差し引いても、若い頃よりも格段にケアができるようになったという実感はある。分かち合いがケアだと言うのであれば、コミュニティ内で他者とともに生きるというのは、それ自体がケアであり、経験を積むにつれてケアが習熟するというのはある意味自然なのかも?

・双方が「いのち」の現前性プレセンスを経験する。
診察で患者さんの身体に触れると、患者さんの心音や体温などを感じる。否が応にも相手の現前性はすごく感じる。カルテばかり見て診察しない医者は、現前性を感じたくなくて避けているのかも??

ケアは迷惑で、不愉快で、ときにふたりの関係を引き裂く。だが、それでもケアは私たちがなしうるもっとも重要なことである。 155p
家庭医療の本質は「おせっかい」だとどこかのDrが言っていた(うろ覚え)。風邪で受診した患者に、(恐る恐る)ついでにタバコのことを聞いてみる。癌検診や避妊について聞いてみる。家族について聞いてみる。
「関係ないこと聞かないで、いいから風邪薬だけよこせ」という人から見たらうざい医者だが(なので時と場合と相手を選んで聞くようにしている)、時にそうしたやり取りが重要になることもある、と思っている。


医師と患者がともに疾病を「実行enact」する

オランダの人類学者が、大学病院で調査を行い、このような理解を導き出した。
診察室で医師が診断を下すまで、患者はその「疾病」には罹っていない。患者が診察室を訪れ、医師が質問したり、患者が答えたりするなかで「疾病」という出来事が生起する。そして机、椅子、家庭医、紹介状といったすべてがその疾病という出来事を「行う」ことに参加している。出来事は多くの人と物によって引き起こされる。言葉も、書き仕事も、部屋と建物も、保険システムもそこに参加している。 158p
家庭医療的な用語で解釈すると、「肉体的・生物学的な意味での病気Diseaseと、社会的・文化的な意味での病いIllness、背景Contextとなる机、椅子、家庭医、紹介状、言葉、書き仕事、などすべてが合わさって、「疾病」というイベントが実行される。」ということだろうか。
僕ら家庭医が理論的に学び、日々の臨床の場で感じていることは、やはり人類学的視点と重なる部分が多いなと改めて思った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(以下、メモ)

人間の差異

①    同じ人間である
かつて人類学は「未開」を対象にした。
人間社会が未開から文明に進化していくと考える視点である。

植民地時代、非西洋人はそもそも同じ人間とはみなされなかった。
その差別を乗り越えるために進化論的な視点が必要とされた。
人類の多様性を進化の段階の違いとしてとらえる進化論は、人間の同一性を証明するために必要な理論だった。14p

②    文化毎に違いがあるだけで、優劣はない
進化論的視点は、次世代の人類学者たちに批判された。
彼らは文化相対主義を唱えた。

③    では文化毎の差異や類似性は何に由来するのか?
レヴィストロースは「構造」にそれを求め、構造人類学を提唱した。

文化相対主義では文化の差異を、それぞれに切り離された独自のものと捉える傾向があった。
それに対して構造人類学では、文化の違いは相互に関係しているからこそ生まれると考えた。

④    近代とは何か?
レヴィストロースは分析対象である「未開」社会を変化の少ない「冷たい社会」、「近代」社会を変化の大きい「熱い社会」と表現した。

では、近代社会とは何なのか。それが次の研究対象となる。
その先駆けとなったのがラトゥールの「科学の人類学」である。
人類学という学問そのものを支える「科学」について、その科学が前提としている自然と文化、人間と非人間との区分について、もっと根本的に再考する必要がある。
ラトゥールはこのように考えた。

「科学によって、客観的な視点から、文化を相対的に捉えることができる」。
このような科学の特権的な意識が批判されることになった。

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他者理解

①全体像の中への位置づけ
ルイス・ヘンリー・モーガンは、アメリカ先住民に興味を抱き、先住民らと交流した。
その中で、先住民の政治体制が親族関係にもとづいていて、ほかの先住民と共通していることを発見した。さらにインドにも同様の体系をもつ民族がいることを知り、世界の民族の親族体系を体系的にまとめようと考えた。

彼は、そのように人間の差異と類似性のバリエーションをすべて把握することで、さまざまに異なる諸民族を人類の全体像のなかに位置づけようとした。

②もっと深く知る必要がある
モーガンの情報収集は、主として質問票を用いた世界各地にいた宣教師や商人などの白人居住者からの情報であった。しかし、それだと白人の視点が入ってしまい、情報としての質に疑問符が生じる。また表面的な情報だけでは他者を真に理解することはできない。

そのため、その後の人類学では、人類学者みずからが現地におもむき、現地人と長くともに過ごす「長期参与観察」という手法が生まれる。これはブラニスラウ・マリノフスキにより確立された。

③「長期参与観察」への批判
マリノフスキのフィールドワーク論は現代の教科書にも載っている。
しかし批判も多く噴出した。

まず、マリノフスキの視点は、個人の心理的側面を描くことを重視したものであった。
それに対して、ラドクリフ=ブラウンなどは、より社会的・構造的な側面に着目することを重視した。

また、マリノフスキの死後に出版された「日記」では、マリノフスキの赤裸々な心情が明かされ、スキャンダルとなった。
現地民を理解しようと努力する一方で、彼らに対して嫌悪感を感じてしまったり、白人世界への欲情に葛藤したり、生々しい姿が描かれた。
私的な日記の内容からマリノフスキの仕事を全否定することはできない。だが、ときに調査対象者を蔑むように「 黒人ニガー」と呼び、苛立ちを隠そうとしないマリノフスキの姿は、人種差別や西洋中心主義を乗り越えて異文化を理解しようとしてきた人類学への期待を裏切ることになった。 47p

更に、フィールドワークで得た情報そのものの信頼性に関しても疑義が呈される。
マーガレット・ミードはサモアでのフィールドワークを元にした本の中で、「サモアの若者には、アメリカの若者のような思春期の葛藤や非行の問題はみられない」と書いた。

しかしミードの死後、デレク・フリーマンがミードの著書を批判する本を書いた。フリーマンはミードの著書はサモアの若者の実情と乖離していると書いた。
フリーマンは、ミードが誤解をしてしまった理由に関して、サモア人家庭ではなく、アメリカ人移住者の家を寄宿先としていたことや、サモア語の能力が不十分だったことを指摘している。

④人類学そのものへの批判
エドワード・サイードは自身の著書の中で人類学への批判を行った。
エルサレム生まれのパレスチナ人であるサイードは、西洋人が非西洋人を研究し、その文化を書くこと自体が権力の行使であるという。
「異文化を理解し表現する特権が西洋人にだけ与えられ、非西洋人には与えられていない。西洋による植民地主義的な「知」の支配がいまも継続している」と、彼は主張した。

⑤そもそも他者理解など可能なのか?
2000年代に入り、「存在論的転回」と呼ばれる潮流が生まれた。
西洋的・科学的な立場から他者を安易に理解・解釈しようとするのではなく、他者の見解をあるがままに尊重し、固有のものとして受け止めるべき、という立場である。
ただし、この立場にも批判はある。

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