家庭医療専門医の勉強記録

医学・非医学問わず、学んだことを投稿しています。内容の間違いなどありましたらご指摘ください。また、内容の二次利用については自己責任でお願いします。

【COVID-19の倫理学】【H×H】ゴンに対して、どう答えるべきか?

 


京都大学youtube講座。
この書籍には載ってないが、つい先日も新しい配信があった。

書籍と上記配信から、例のごとく、重要そうなポイントや、気になったポイントを幾つか書いてみる。


公衆衛生の正当化の根拠 

公衆衛生、つまり集団の健康を守るために、なぜ・どこまで個人の自由を制限することが許されるのか。
その正当化の根拠は大きく3つある。
①他者危害原則
パターナリズム
③全体の利益の考慮

①他者危害原則
他人に危害を加えない限り、個人の自由は最大限認められるべき。

この”危害”とは何を指すのか?
広くとらえると、あらゆる行為は潜在的に他者への”危害”となりえてしまい、実用的でなくなる。
実際的には「直接的な身体への危害」が主であるが、ハラスメント等の文脈で「精神的な危害」も範疇となりうる。

パターナリズム
父権主義。
本人が自分自身に危害を与えることを国や周りの人が防止すること。

個人の自由はどこまで認められるのか?

③全体の利益の考慮
全体的には利益があっても、個々においては利益が少なかったり・利益を得られない人が出ることがある。

本人の利益にならないことを、全体のためだからとどこまで強制できるのか?


公衆衛生的介入の原則

①他人に危害を与えるリスクがある場合にしかやってはダメ
②介入は必要最小限に
③権利の制約をするのであれば、適切な補償が必要
④政策決定の透明性が必要    →    手続的正義
⑤介入が有効でなければ正当化できない
⑥介入による利益が、介入による不利益を上回る必要がある
⑦権利の制限を伴う強制以外の仕方で目的を達成できないか十分吟味が必要


リスク管理と危機管理と平時と有事

リスク管理は、何らかの損害が起きないように管理すること
危機管理は、それでも損害が起きたときに対応できるようにすること
つまり、平時にも有事のことを考えておくべき、ということ

ハンター×ハンター 第1巻)

ただし、有事の議論は倫理を腐敗させうる。
上記の議論を、親子で真剣に行う場面を空想してみる。
父「お前が、父さんと母さん、どちらかしか助けられない場面になったらどうするか、皆で議論しよう」
子「そんなの決められないよ。どっちも大切だもん」
母「そんな甘いこと言っちゃダメ。いつかそんな場面があるかもしれないのだから。まぁでも母さんよね!だって母さんがいないと家事できる人いないんだから」
父「いや、父さんの稼ぎがないと困るだろう。やはり父さんだ」
・・・無理にでも結論を導こうとすれば、その後の関係にひびが入るのは明らかである。

かといって有事の議論を避ければ、有事の際に被害が増大しかねない。
だから、有事の議論そのものは必要だが、それをする際には、倫理への悪影響が最小限になるような工夫をしなくてはならない。
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有事の議論を平時にどのように行うか・・・上記の例でどちらを助けるか議論で決定するのは困難だが、手続的正義に則って「決め方を決めておく」ことはできるかもしれない。
たとえば、じゃんけんをする。後出しじゃんけんにならない限り、比較的公正な手続きである。不謹慎な案であることは否定できないが、妥協案としてはあり得ない選択肢ではないかもしれない。

ハードロックダウン    VS    ソフトロックダウン(緊急事態宣言)

ハードロックダウン派の主張
・国家権力が濫用される可能性はあるが、その監視は国会や国民の役割である
・濫用が起きるからといって必要な規制を作らないのは本末転倒
同調圧力の方が濫用の可能性がある(自粛警察など)
・ソフトロックダウンは損失補償回避のための便法になっている

これに対する気になる点
同調圧力はどこまでは許され、どこからは許されないのか
・法的罰則があっても同調圧力は起こりうるし、実際海外でもみられた。どちらにしても同調圧力をどう抑制するかということは考える必要がある
・警察と市民の軋轢が強まる可能性がある
・法的強制を正当化する根拠は何か。それは倫理的に許されるのかという議論が必要
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緊急事態宣言が繰り返されていた頃、ロックダウンの方がいいのではと素朴に思っていたが、懸念点を示されると、迷うところ。
今後新たなパンデミックが起きた場合でも、恐らく日本はロックダウンは行わないのだろう。改善していくとすれば、米国のCDCのような機関を設立することや、緊急事態宣言をする際の議論を透明化して国民の納得感を醸成することなどだろうか。

科学と人文学

科学は予測知である。
明日は晴れの確率が90%。
癌の可能性が95%で、手術をすれば完治できる可能性が80%。云々。

一方、人文学は踏みとどまる知である。
自分や世界について反省的に考える機会をもたらす。

また人文学は、価値について提案する知である。
手術すればよくなる可能性が高いのだから是非受けましょう。いやいや、そもそも今後の生き方についてじっくり考えてから決めましょう。人間にとって自分の死は決して経験できず、死は存在しないなどという哲学者もいますが、あなたは人間は死んだらどうなるとお考えですか、あなたの死生観を教えてください。云々。
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医学は科学だが、医療は科学と人文学のミックスなんだと思った。
特に家庭医療は、人文学の割合が、他の医療現場よりも大きいのだと思う。