過去のブログを振り返るシリーズ。
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改めてブログを見返すと、
ボケやツッコミというワードにばかり気を取られていて、そもそも「勉強とは何か?」という問いに直接答えてないことに気づく。
本書を見ると、ちゃんと書いてあった。
勉強とは、自己破壊である。
では、何のために勉強をするのか?
何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?
それは、「自由になる」ためです。
どういう自由か?これまでの「ノリ」から自由になるのです。
Kindle位置No.129
勉強は、むしろ損をすることだと思ってほしい。
勉強とは、かつてのノっていた自分をわざと破壊する、自己破壊である。
言い換えれば、勉強とは、わざと「ノリが悪い」人になることである。
そんなことに踏み出したいと思ってもらえるでしょうか?
いまの生活でそれなりに楽しくやれている人は、ノリをわざわざ壊す勉強なんてまっぴらゴメンだ、と思うかもしれません。ならば、本書は不要なのだと思います。
Kindle位置No.148
勉強して損をする。
なかなか痛烈なワードだが、確かにわからないでもない気がする。
たとえば、高血圧。
初学者の頃は、マニュアル本通りに治療をしていた。
・血圧が高くなる他の疾患(二次性高血圧)の可能性を考える。
・運動や食事などの指導をする。
・それでも血圧が高ければ血圧を下げる薬を処方する。
でも、深く勉強しだすと沼にハマる。
・全例で二次性高血圧を検索しろなんて書いてある本もあるが、検査の有害事象や、医療経済的なコストなどのことも考えなければいけない。目の前の患者さんは、検索するべきだろうか?
・運動や食事はどの程度効果があるのか?血圧を下げるために日々の生活のQOLを下げることはどの程度正当化されるのか?目の前の患者さんに、どう指導するべきだろうか?
・血圧を下げる薬はどのくらいの量をどのくらいの期間飲むと、どの程度の効果があるのだろうか?目の前の患者さんは、飲むべきだろうか?
自分の疑問に答える論文を探し、なければそれに近い論文の結果が目の前の人にどのくらい適応できるかを考える。
しかも論文では「何をするべきか」に対する答えは与えてくれない。それは倫理の領域である。
だから、
「血圧高いんですけど、下げた方がいいですかね?」
なんて聞かれると答えに困る。
困るが答えないわけにもいかないので、ごにょごにょと口ごもりつつ、目の前の方にとって最適な方策を考える。
ノリが悪い。
まぁでも、ある意味でノリが悪いことこそがプロフェッショナルな気もするので、これからも勉強していこうと思う。