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言語学」と冠しつつも、ネタが8割くらいの知的おふざけ本。
面白さもありつつ、なるほどと思わされるところもある。

印象的だったところを紹介。

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(1)私、バーリ・トゥードの試合を見てみたいんだ。あれ、生で見たらすごいと思うよ。    35p


このセリフが、相手にスムーズに伝わるために必要な条件を考える。


(ⅰ) 相手がバーリ・トゥードとは何かを知っている状況である。    35p

相手が知らなければ、「バーリ・トゥードって、何?」となってしまう。

(ⅱ) 相手がバーリ・トゥードを知っていることを、私が知っている必要がある。    35p

そのことを私が知らなければ、「バーリ・トゥードっていうのはね・・・」と説明しなければいけない。

しかし、これだけでは不十分である。

(ⅲ) 相手がバーリ・トゥードとは何かを知っていることを私が知っていることを相手が知っている必要がある。    36p

そのことを相手が知らなければ、「こいつ、バーリ・トゥードのことをオレが知っている体で喋っているけど、何でだろう?」と困惑してしまう。


だが、これだけでも不十分である。

(Ⅳ)私が(ⅲ)を知っている    38p

私が(ⅲ)を知らなければ、私の知識は(ⅱ)で止まることになる。すると、「相手は私に知られていることを知らない。だから前提なしでいきなり喋ると困惑させてしまう。」となってしまう。

これは無限ループであり、相互知識のパラドックスと呼ばれる。

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このように相互に知識がある状態を論理的に考えつくすことはできない。

すると、現実的にはどこかで諦めて、博打を打たなければいけない。
つまり、「相手が知っている前提で喋るか」「知らない前提で喋るか」を決める必要がある。

〇相手が知っている前提で喋る場合
相手が知らなかったら、「不親切」もしくは「無配慮」と思われる危険がある。

〇相手が知らない前提で喋る場合
相手が知っていたら、相手の知識を低く見積もっていることがバレて、「馬鹿にしている」と思われる危険がある。


*本書では、
・相手の知識状態に関係なく使える便利な言い方はわからない。
・前者の「相手が知っている前提で喋る」方がまだマシなのでは。
と書かれている。


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こういうの、いろんな場面で気を遣いますよね。
特に目上の方と喋るとき。

我が身を振り返ると、相手にむしろ喋ってもらったりして情報収集して、何となく相手の知識状態に当たりを付けてから、そろりそろりと喋るようにしている気がする。