【要約】
坂口安吾の言う堕落とは、簡単に言えば「自分に正直に生きること」と言ってよさそう。
ニーチェの超人とも似ている?
人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。 続堕落論 7p
でも「自分に正直に生きること」を貫けるほど人は強くない。
人間は可憐であり 脆弱 であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。 堕落論 位置No.161
だから、何らかの「カラクリ」を用意して堕落を食い止める。「カラクリ」とは、規範とか、世間体とか、制度とか、政治とか・・・抽象化すると「べき論」みたいな感じだろうか。従っている限り、思考停止して楽でいられるもの。でもどこか窮屈なもの。
サピエンス全史で言うところの虚構と似てる?
人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。 続堕落論 12p
しかし「べき論」も絶対ではなく、時にはその破壊も必要である。
そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。 続堕落論 12p
「堕落=自分に正直に生きること=〇〇したい」と、
「カラクリ=べき論=〇〇すべし」の、
往復運動が人間の本質である。
というのが本書の結論だろうか?
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【感想】
①自分に正直に生きること、って結構難しい。
疲れていて、「仕事を休みたいな」と思う日も、
「自分がいないと仕事が回らない」とか(ホントは大抵の場合何とかなる)
「家族のためにも稼がないと」とか(ホントは貧乏でも多分生きていける)
色んなべき論で自分を縛っている。
②「○○したい」と、「〇〇すべし」、が錯綜する。
興味を持ったことを調べるのは、楽しい。
だから僕は、日々の診療で興味を持ったことを調べるのは、苦にはならない。
でも、「患者さんのためにも勉強しなきゃ!」みたいなべき論を持ち出して頑張りすぎると、苦痛になってくる。
一方で、「患者さんのためにも勉強しなきゃ!」というべき論がモチベーションにもなりうる。成果が得られると、達成感を得て、「勉強したい!」と思う。
③「〇〇したい」と、「○○すべし」、のバランスをとる。
自分に正直に生きること、って自由で楽しそうな響きだけど、案外自由すぎて不幸なのかもしれない。
(浅い理解だけど)現象学的に言えば人間は主観的世界しか認識できないわけで、「○○すべし」なんて極端に言えば思い込みに過ぎない。でも、そのべき論である程度不自由になった方が、実は幸せなのかもしれない。でも、べき論でガチガチに縛られてしまうと、身動きがとれなくて窮屈かもしれない。
だから、その両極端の間で、うまくバランスをとるのがいいのかもしれない
【雑感】
どんな本を読んでも「結局はバランスが大事」に落ち着いてしまう・・・
まぁでもアリストテレスも中庸の大事さを説いているっぽいし、いいこととしよう。