Amazon.co.jp: アンディ・マリー: 再起までの道 (字幕版)を観る | Prime Video
テニスを観ない人でも知っているテニスプレイヤーと言えば誰だろう?
錦織圭や大坂なおみ、ロジャー・フェデラーあたりだろうか。
このアンディ・マリーのことは知らない人も多いかもしれない。
2000年代から今に至るまで男子テニスのビッグタイトルを殆ど席巻している「BIG4」の一人。
股関節を損傷し、31歳で一度手術を受けたものの痛みのため試合へ復帰できず。
一度は引退を考えたものの、32歳で人工関節置換術を受け、見事カムバックを果たした。(人工の関節を入れる手術)
当時、彼が手術を受けたというニュースを知ったときは、衝撃だった。
この手術を受ける人は、医療現場では珍しくはない。
殆どの人は高齢者で、術後のリハビリで杖なしで歩けるまで回復する方もいるが、杖や歩行器が必要な方もいる。
でも、この手術を受けた人で、たとえ趣味程度でもスポーツをしている、という人は聞いたことがない。
人工関節とは一生付き合っていくのだ。再手術が必要になる人だっている。
テニスのために、そこまでするのか?
このドキュメンタリー映画では、彼が手術を受ける前の心境が語られている。
「”たかが”テニスじゃないか、と人は言う。でも、僕にとっては”されど”テニスなんだ」
”たかが”と”されど”。
この映画を観てから、このワードがなんとなく頭にこびりついて離れないので、アウトプットしてみることにした。
たかがテニス、されどテニス
高校と大学で、併せて9年間テニスをしていた。
毎日何時間も練習し、練習してないときも雑誌を読んだり試合観戦したりしていた。
その甲斐あって部活内ではレギュラー入りを果たしたが、とはいっても大会で大きな結果を出したわけではない。
今思うと、もっと他のことにも時間を使えば良かったのではという気もするが、当時は(医学生なのに、医学そっちのけで)本当にテニスばかりに熱中していた。
もちろん自分でも、テニスで食っていくわけでもないし、”たかが”テニスに過ぎないことはわかっていた。
でも同時に”されど”テニスだったのだ。現役最後の大会で泣いてしまう程度には本気だったし、あの熱量は今もありありと思い出せる。あの経験は、自分の中で確かな記憶として残っている。
たかが医師、されど医師
僕は、偉そうな医師が嫌いだ。
初期研修医の頃、患者さんに対してリスペクトのない発言をしたり、周りのスタッフに対して怒鳴り散らして王様のようにふるまうベテラン医師が何人かいた。
「こんな人たちには、自分や自分の家族は絶対診察させたくない」と思った。
大体、医師というだけでなぜそこまで偉ぶれるのか。
急な腹痛のうち、診断がはっきりしないものは20-40%くらいある。
ほかの症状も似たようなものである。
医学でわからないことなんて幾らでもあるし、現実を知れば知るほど謙虚にならざるを得ない。
”たかが”医師、謙虚であるべき。
でも、医師という仕事をしていて良かったと思うこともたくさんある。
幼児の肘の脱臼(肘内障)は、大抵一瞬で治るから、親御さんにすごいビックリされる。
自分が医師というだけで、勇気を出して自分の悩みを曝け出してくれる患者さんもいる。
訴えを一生懸命聞いていたら、「話していたら楽になりました」と言ってくださる方もいる。
患者さんを看取った後、家族から泣きながら感謝の言葉を頂くこともある。
”されど”医師、捨てたもんじゃない。
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人生において遭遇する出来事なんて、大抵は”たかが”○○に過ぎない。
他の人から見ればどうでもいいことだし、さして珍しくもない。
それがあろうがなかろうが、大局的にみれば大した違いはない。
でも、”されど”○○と思って取り組むことはできる。
その方が充実するし、その方が楽しい。
まぁ、この「たかが○○、されど○○」という構図も使い古された構図な気はする。
・「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」は、「たかが踊り、されど踊り」と言えなくもない。
・仏教の「遊戯三昧」は、「たかが人生、されど人生」と言い換え可能な気もする。
・「一隅を照らす」という最澄の言葉がある。
お金や財宝は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。
https://ichigu.net/person/
一隅というのはかたすみのことだから、「たかが一隅」に過ぎないけど、でも「されど一隅」でもある。
ちょっと無理やりな気もするが、やっぱりさほど斬新な気付きではない。
だから、こんな自分の気付きも大したことはない、「たかがこんなブログ」に過ぎない。
でもこれを書くことでスッキリしている自分もいるのだから、「されどこんなブログ」だとも思う。